海中山盛岩寺は
曹洞宗のお寺です
永平寺(福井県永平寺町)と総持寺(横浜市鶴見)を大本山としています。
当山の開創は、大同年中に天台宗の寺として開かれました。慶長6年8月(1601)陸前高田市米崎の普門寺4世在天長存大和尚によって曹洞宗に改め開山開堂の式が行れました。
在天長存大和尚は盛岩寺の外に龍泉寺(陸前高田市気仙町)・長林寺(大船渡市綾里)・松月寺(陸前高田市米崎)・西光寺(気仙沼市大島)を開山しています。
山号の由来は、ご開山様が当地を巡錫の折り、鰯船の網に木彫の観音像一躰が入り、その観音様をお寺に安置し、それをもって山号を海中山と改めたといいます。
因みに、文政12年(1829)の『盛岩寺造営功徳序』によると、山門はじめ伽藍内陣の荘厳はもとより観音堂、そして庭園の大改修のことが記録されています。その伽藍も大正2年4月1日(1913)当町の大火により一切を焼失しました。
また、藩主伊達公当村巡行の折り、当山にお立ち寄りになり庭園を賞賛されたといわれています。庭園は亀鶴峰と言われ、地形に合わせて、三尊石・滝口・亀石・鶴石などを配置してあり、心字の池に月を映して観月したといいます。
鶴亀の碑の由来
文政7年(1824)9月、小白浜の網に亀が入り、これを当山の庭の池に放しておいたら同月14日昼頃、鶴が飛んできて池辺の松に止まり亀を眺めていた。人が近づいても飛び去る様子もなく、誠に不思議なことで宝莱山というのはこのことだろうと、話は村々に広まり見物人が沢山集まった。
これを聞いた大肝入り(藩政時代各郡に置いた郡長)は御上様(伊達の殿様)へ唐丹村盛岩寺に鶴と亀が集まっていることを報告。同年11月御上様より鶴は仙台御城下へ上らせるよう仰せつかった。
唐丹検断の倅、清治という者が鶴を押さえ、鶴を運ぶためシノ竹で格子に編み、食物は豆腐を長さ1寸5分、厚さ2分ほどにして食わせ、またミミズを洗って食わせたので、かごの中に水箱と、豆腐箱をあつらえて置いた。
竹格子にはゴザをかけ、立て札に「御用鶴」と書き付け、御首尾合わせは、御代官、大肝入りで、宿継ぎ人夫を付け仙台城下へ上ることになった。亀は御用ではないと言うことで盛岩寺にそのまま置いたが翌春衰弱して亡くなる。盛岩寺には翌年御上様より金2百疋下賜された。(正絹の白衣袷を新調して寺宝としてきたが大正2年の村の大火で消失)5年後に亀の供養碑を建立。庭園を亀鶴峰と銘々した。
盛岩寺年中行事
1月 1日 |
三朝祈祷(3日まで)檀信徒年始 | 8月 16日 |
山門施食会 |
寒入り | 寒修行(寒明けまで) | 9月 秋分日 |
秋季彼岸供養会・花露辺地区彼岸廻り |
1月 16日 |
寺年賀 | 9月 29日 |
道元講(両祖忌)・お斉の接待 |
1月 17日 |
初観音(観音堂) | 10月 中旬 |
大石地区観音講・お取り越し |
2月 15日 |
涅槃会 | 11月 中旬 |
山片川・荒川地区お取り越し |
3月 春分日 |
春季彼岸供養会 | 12月 8日 |
お八日様(成道会)・お斉の接待 |
4月 下旬 |
春祈祷会・大施食会・花まつり・お斉の接待 | 12月 18日 |
本郷地区観音講 |
8月 7日 |
初盆経廻り | 12月 下旬 |
堂内外大洒掃 |
8月 13日 |
お盆棚経廻り(15日まで) | 12月 31日 |
歳末諷経・除夜の鐘 |