継承と安心 
           平泉町・東松寺住職・千田実道


 継承安心のお話しをしてみたいと思います。人が世に生まれるということ
は、それぞれの家に育てられることなのです。

 現代では稼業を継承することが少なく他の業が良く見えて、それを自分の
行いとし、修めようとしています。

 良く考えてみると先ず人が育つ上で何時も父母の後ろ姿を見て、生長し、
生長するにしがたって、他の業も見るようになり、自分の家の稼業と比較し
考え、その良し悪しと、利害と安易さを追い求めたがる傾向にあります。

 さて、私達僧侶の継承相続についてお話してみたいと思います。
数少ない、勝縁でその家、あるいは、寺に生まれたということは、出家者と
して、僧侶の道に入り習い修め、出家者としての道を守ることが求められま
す。

 その道を守るということは、指導者の教えに従うということです。その大事
な点は、貪る心を無くすことにあります。

 その貧欲の心を無くそうと思う時、此の世のものは、皆移り変わり行くもの
と知ることに、気づくことが一番大切なことです。

 ともすれば、人によく云われ、良く思われ立派だと、言われたいものです
が、しかし、実際には、良く云われず、良くも思われていないのです。

 出来て当たり前なのです。そうであったなら、良き指導者の言葉に従って
行けば、自然にその当たり前に成ると思います。

 その道に入り継承し、安心を得ることとは良き師、良き先輩の指導者に、
自分を任せおのれの囚われる、執着心を捨て、ひたすらに行いゆくことで
はないでしょうか。
 
 利いとか、鈍いとか、賢い愚かなどを問題にしない、即ち継承安心の僧
としての生き方そのような、人生が送れるなら素晴らしいのではないでし
ょうか。