道  
                 盛岡市・東顕寺住職・村井泰定


 昭和の時代と申しましょうか私の若き時代はスポーツはやはり野球が一
番でしたが、ここ近年はサッカー熱もかなりなもので、いよいよ日本と韓国
が共同開催するワールドカップも平成十四年五月三十一日開幕ということ
です。

 スポーツには色々な種目がありますが、団体競技、個人競技、皆それ
ぞれに観戦して手に汗握るすばらしさがあり又、自分がやってみても楽し
いものもあります。

 外国から入ってきた競技でイング即ちingの付くものは一人でも出来る
スポーツのようです。スイミング・スキーイング・スケーティング・ゴルフィン
グ・フェインシング等々たくさんあります。バスケットイングとかバレーボー
ルイングとは申しませんね。

 日本古来の競技はどうでしょうか。柔道・剣道・弓道など「道」という文字
が付きます。華道・茶道・書道などもみな「道」が付きます。もちろん仏道
・神道も「道」は付きます。
 
 なぜ日本では「道」なのでしょうか。私達日本人はやはりこの「道」という
文字に精神的なものを感じますね。即ち、相手に勝つためとか、ただ単に
技を向上させるためとかばかりではない、自分を見つめる世界、自分の心
としっかり向き合う時間的存在の意義があります。

 ふだんお勤めや学校又買い物に行く道路も「道」ですが、宇宙・万物の
根源となすところも道、私達各々一人一人、一歩一歩あゆみ続けている
のも人生の道、「道」というこの一言には、はかりしれない広大さと深遠な
る意味が含まれております。簡単に申し述べることができませんね。

 いみじくも曹洞宗の開祖さまは、道と元気の元と書いて道元禅師と申し
ます。
 どうでしょう「道」について皆さまもしばし考えてみては如何でしょうか?