こころの鏡
                 北上市・称名寺副住職・膝舘良証老師


 仏教の教えの中に地獄という世界が説かれています。
そこには閻魔大王という恐ろしい方がいて、地獄にやってきた者達を裁き、自分の行った悲しい罪に対して早く気が付けるようにと、心を文字通り鬼にして裁いているのが閻魔大王の姿であると説いています。

 この閻魔大王の隣には、常に大きな鏡がありました。これは浄玻璃の鏡といって、鏡の前に来た者は、自分が生まれてから死ぬまでの間に行った全てを映し出す言う、非常に不思議な鏡でした。

 誰も知らないから大丈夫、誰も見ていないから大丈夫と思ってしたことまでもこの鏡は映し出してしまうのです。

 このような鏡は地獄にしかないものと思っていましたが、実は別のところにもあることに気づきました。それはどこにあるかと言いますと、私たちの誰もが持っているこころの鏡です。誰も知らないはずのことを一番よく知っているものです。

 思い出すだけで顔から火が出るほど恥ずかしいことや、また嬉しいこと、悲しいこと、苦しいことなど、数え上げると切ないほど沢山あります。

 この心という鏡に直面するときが本当の自分に出会う時なのかも知れません。仏教では自分を返り見ることを回向返照と言っています。

 自分の本当の姿に目をそらすことなく見つめ合いましょう。そして、そこに映る自分の姿を見て、今までの自分を反省し常に自分を照す鏡としてゆきましょうと言っているのです。

 私たちは、日々そんな中にあっても自分を返り見る心のゆとりがほしいものです。