苦あればこそ楽しみあり
             
     一戸町・広全寺住職・佐藤一成


 私達の日常生活では、いやなこと・辛いこと・悲しいことが、たくさ
んあります。どこか安楽に過ごせる、理想の世界はないものかと思
ったりします。

 たとえば山登りで、険しい道を登り切ると、頂上は大変すばらしい
世界が広がると思うようなものです。しかし、ふと足を止めて周囲を
見渡すと、今歩いている険しい山道が、すでに花の咲き乱れている
美しい世界であることに気づくかも知れません。

 仏教では、私たちが、今、生きていることがすでに、仏さまの大き
な慈悲に守られていると考えます。
あとは私たちが、そのことに気づくかどうかだけです。

 仏さまをたとえれば、空気のような存在です。生きるために空気は
少しも欠かせません。しかしその存在を普段は忘れています。

 この世にあるものは、すべて天地の理法・道理に貫かれています。
生きたり死んだりすることもみんなそうです。

 道元禅師さまは「生死は仏の御いのちなり」と、いわれました。素
晴らしいこの現実に気づかず苦悩をしているのは、人間の心に宿る
自己中心の欲、エゴの仕業です。このエゴの心を制御しコントロール
して、現実の真実を、ありのままに受け取ることが大切です。

 そこに、苦の中に楽しみを見いだし、悲しみの中に喜びを発見する
道があります。

 この世に悲しみ苦しみがあるから、喜び楽しみもあるわけです。悲
しみ苦しみは、人間にとって誠に有り難いものです。

 もし毎日何一つ心配がなかったとしたら、感謝や感激を味わうこと
が出来ません。私たちは心を落ち着け、真理を見極める力を養い、
正しい道を歩んでいきたいものです。