密度の濃い人生
                 江刺市・明蔵寺住職・伊藤正依


 私には、ある出来事がきっかけで考え始め、その後も私の頭の中に存
在し続けていることがあります。それは「密度の濃い人生」ということにつ
いてです。
 
 その出来事とは、二人の同級生が、全く対照的な理由によって、相次
いで尊い命を落としたことでした。一人は生きることを放棄して、自ら命を
絶ち、もう一人は、不治の病に侵され、生きたくても生きられず、旅立って
しまったのでした。

 この、余りにも対照的な二人の死に直面した時、ふと、あの二人は「充
実した人生だった」と思えたのだろうかと、そんな思いが頭に浮かびまし
た。

 人の命の大きさは、産まれてきた時にはどの人も同じで。年を重ね、日
々の暮らしをどのように送るかによって、人生の濃さが変わってくるので
はないかと思います。

 もちろん、それを測る基準などはありませんし、百人いれば百通りの生
き方があって、それはどんな方法をもってしても優劣をつけることは出来
ませんし、まして他人が批評すべき事ではありません。

 しかし、私達が今こうして生きていること、この大宇宙の中で、尊い命を
いただいていることは、間違いなく、そのいただいた命で精一杯生きぬく
ことが、私達が果たすべき事であり、それが、充実した人生ということにな
るのではないでしょうか。

 日々の生活は、ともすれば毎日同じ事の繰り返しの様に思いがちです
が、決してそうではなく、常に変化し続けています。その変化し続けている
現実を直視し、その時その時を精一杯生きること。

 楽しいこともあれば辛いこともある。 しかし、それに左右されることなく、
与えられた命を生かし切る事が大切なのだと、二人の同級生は私に教え
てくれたのです。