後ろから拝まれる人に

                    紫波町・蟠龍寺住職・中野英明


 お寺のご本尊様や家のお仏壇、あるいはお墓参りするときは、誰しもが正
面に向かい手を合わせます。わざわざ仏さまや亡き人を拝むのに斜めから
とか、後ろに回って手を合わせる人はおりませんね。

 では、生きている私たちはどこから手を合わせてもらえるのが一番尊いこ
となのでしょうか? それは、後ろから手を合わせて拝まれることだと思いま
す。

 ある若い母親が、止むに止まれず、幼い子供を連れ、嫁ぎ先の家を飛び
出し、実家に帰ろうと、電車に乗ったのでした。終着駅の上野駅に着いたの
ですが、切符を買うお金も持っていなかったので、出るに出られず思案に
暮れてしまいました。

 いっそ、幼い子供を道ずれにと、虚ろな目でホームを見つめていた時でし
た。一人の中年紳士が「どうかしましたか」と声をかけてくれた。訳を話すと
「待っていなさい」と言葉を残し、やがて切符を買って戻ってきたのでした。

 「お名前を」と言った時には、もう、紳士は人混みの中に紛れ、見えなくな
ってしまったのでした。

 それから50年、今はひ孫にも囲まれ幸せな暮らしをしているその婦人は、
紳士にお会いした12月30日には花を生け「お名前もお顔もわからない、
紳士様」と、毎年毎年手を合わせ、年を越しているのだそうです。

 道元禅師様は「人は善い事をする時は、人に知られたいと思うし、悪い事
をする時は人に知られたくないと思う」と言われております。この紳士の行
いは、それらの計らいから離れ、真の善行を教えてくれています。

 私たちも一生の内には、自分の事を自分の知らないところで、後ろから手
を合わせてくれるような人を一人でも持てるような生き方を心掛けたいもの
であります。