頭だけじゃ分かんないヨ

             陸前高田市・光照寺住職・高澤公省


 日本に初めて本格的な禅の道場を開かれた、道元禅師さまが中国におら
れた時のお話しです。

 道場で、高僧方の書かれた書物を読んでおりますと、修行の志のあつい
一人の僧侶に質問を受けるのです。

 「それを読んで何かの役に立つのですか?」
 「日本に帰って、人々を導くためです。」
 「それが何の役に立つのですか?」
 「人々にご利益を与えるためです。」
 「うーむ、結局のところ、それが何かの役に立つのですか?」
と、重ねて質問されました。困ってしまった道元さまは、言葉に詰まってしま
います。

 あとでこの僧侶が言わんとした、道理というものをじっくり考えてみたので
す。
 
 それは、つまり、知識を増やすことに時間をさくことよりも、ただひたすら坐
禅をし、仏法で説くところの道理を明らかにしたのなら、一文字も知らなくて
も、その道理を人に教え示すのに、使い尽くせぬものであると気づかれ、そ
れからは、書物を読むことよりも坐禅に専念されたということです。

 これは、けっして勉強しなくてもいいよという単純なことではありません。
勉強も大切だけれど、いざっていう時は、知識などふっとんでしまいます。

 知識を私達の「都合」というものに置き換えてみるなら、都合の及ばない
世の中の道理といった、その根本にある「理(ことわり)ごと」をしっかり感得
しなさい。ということです。

 姿勢を調え、呼吸を調え、心を静かに調えると、腰が据わり、心の置きど
ころが見えてきますよ。そうすると、周辺で起きることにいちいち心が奪わ
れ、フラフラすることがなくなるということです。