彼岸はどこにあるの?
                    種市町・長円寺住職・藤岡龍海


 以前、私は「お彼岸はご先祖様をご供養する昔からの行事」ぐらいに
しか考えていませんでした。でもそれは「彼岸」の意味を本当に理解し
ていないことでした。

 かの岸(彼岸)とは、私たちの生きているこの世をこの岸(此岸)とし
悩み苦しみの煩悩を中間の川や海にたとえるところから、煩悩を乗り
越えた先のむこう岸、悟りの境地のことを指し示しています。

 つまり彼岸とは、仏陀が歩まれた聖なる道「仏道」の到着点といえる
のです。

 仏陀の教えを頂く者にとり、煩悩多き暮らしの中にあって果たして
彼岸に辿り着くためには何が大切なのでしょうか。教典には次のよう
に仏陀のことばが語られています。

 ある時、仏陀の弟子アーナンダは、日頃、師から語りたもう善き友
の重要さにつき、教えを乞うて尋ねます。
 
 「私どもが善き友をもち、善き仲間とともにあると言うことは、すでに
この聖なる道のなかばを成就したに等しいと思われます。この考え
方は如何でしょうか」

 仏陀は答えます「アーナンダよ、それは違う。そういう考え方は正し
くない。善き友をもち善き仲間とともにあると言うことは、この聖なる
道のなかばにあるのではなく、まったくそのすべてなのである。

 我が弟子においては、かれが私の示した正しき道を習い修め、つ
いに成就するであろうことを期待して待つことが出来るからである。
その故に、このことは、聖なる道のすべてなのである」と。

 ここで言う「よき」とは善悪の「善」の字をあてます。正しい、尊いの
意味です。仏陀は善き友を持つことは仏道のすべてであると仰せら
ます。

 私たちは仏陀を善き友とし、ともに歩む人々を友として相はげまし
あって教えの道を歩んで行く、そこがすでに彼岸の入口なのです。

 ご先祖様の供養を通じ善き友が集うお彼岸の意義を今一度かみ
しめて参りましょう。