心あるべき姿
                         遠野市・慶雲寺住職・菊地伯也


 写真の中の顔を見ていると叱っているような、微笑んでいるような、ま
た時には、優しく語りかけているように色々と表情をかえます。それだ
け、常に心は、激しく変化をしているということでしょう。

 「意(こころ)は微にして見がたし」と法句経に示されるように心には、
姿も、形もないという不思議な存在です。
 
 ところが、いつでも何処にいても、私たちに付いてまわるのが、この心
「欲に随いて行く」と経文にあるがごとく、いろんなトラブルを引き起こし
ます。
 
 人は時として、「無心になれ」といいますがそれは決して「心を失え」と
いうことではありません。欲を離れて、心のあるべき姿を見つめてみよう
ということです。
心の持ちようで仏にも夜叉にもなり、地獄極楽の世界をつくってしまう
のです。
 
 仏教では、心の奥にある世界を、アーラヤ識といいます。アーラヤとは
「蔵」という意味のインドの言葉。その心の蔵に光をあてられたのが、お
釈迦さまです。
 
 だから、迷いのままの心の状態を「無明の世界」といいます。光に照ら
し出された蔵の中には、いったい何があったのでしょう。我落多(がらく
た)つまり貧・瞋・癡という煩悩の三毒もいっぱいありました。

 でも、素晴らしいものがあったのです。それは、他を生す歓びです。
お釈迦さまは、これを”仏性”と名づけられました。そして、それは誰にで
も、備わっていると説かれたのです。
 
 あなたも、心のあるべき姿を見つめてみてはいかがでしょう。