一水四見 
                          盛岡市・東顕寺住職・村井泰定


 私のお寺から秀麗岩手山を拝することが出来ます。一時噴火の可能
性ありと入山を禁止されていましたが、この夏、一部規制を解かれ登
山が出来るようになりました。
 
 皆様ご存じのように盛岡の方面から見える岩手山と、西根地区から
見える岩手山、そしてまた、雫石の方から見える岩手山と同じでありな
がら雄大な山の姿が異なって見えるのです。

 いずれ噴火がもし実現すれば現在の型また変わるのかもしれません
が、早く鎮静の状態となり、安心して登山ができるよう皆さんと共にお
祈りしたいと思います。

 さて「一水四見」という言葉をご存じでしょうか。丁度今お話しした岩
手山のように見える方角によって同じものが違って見える如く、同じ水
が状況によって四つの姿に見えるということです。

 天上界の人達には、水がきれいに透き通ってガラスのように見え、
人間界の人達にはそのまま水にに見え、魚たちには水が住みかと見
え、また地獄界の人達にはどろどろした悪臭を発する汚泥のように見
えるということです。

 物事にはいろいろさまざまな局面が生じます。私達は日々の生活の
中で見方、考え方一つで悩み迷い、苦しみ不安を感じることがありま
す。他人から見たら悩むにいたらないようなことで悩み苦しんでいるこ
ともありましょう。

 しかし仏さまの存在は、ありとあらゆるものすべてをやさしくつつんで
下さいます。若き日の自分も数十年たって年老いた今日の自分も、生
まれるもの死するものも、花咲く時散りゆく時、一切すべてが仏さまの
お慈悲に抱かれているんだと思えれば、一日一日がとてもありがた
く、今こうして生かされていることに感謝せずにはおれません。

 すべておまかせということでしょうか。