お布施の話
                         田野畑村・宝福寺住職・岩見百丈


 「お布施はいかほどお支払いすればよろしいでしょうか?」お檀家さん
で、ある方が亡くなられて、そのお葬式を頼みに来られた方から、こんな
質問をいただくことがあります。

 また、新聞の投稿欄で「どこそこの寺から00円ものお布施を取られた」
などという記事を目にしたり、そういう噂を耳にしたりすることがあります。

 これについては、確かにそういう「お布施」を要求する和尚さんにも問
題がありますが、それよりむしろ「死」とか「人生」とかいったものを過小評
価し、どんなことでもお金で換算しようとするかのような現代的な風潮にこ
そ問題がありはしないでしょうか。

 ひどい例をお話しすれば、あるお通夜の席で、亡くなった方の子供さん
方が「あの親父もやっと死んでくれた。和尚さん、お経の方は簡単にやっ
といてくれや」と言ったというです。

 これを言われたのが私だったら、もしかしたら「いいですよ。ただし、その
罰当たりなお心を、お父さんに許していただけるように、お布施は一千万
円ほども包んでいただきましょうか」とでも言ったかも知れません。

 「お布施」とは、本来、何かと引き替えに出すというものではない。無償
の施しのことですから「いくらお支払いすれば・・・・・」といった性質のもの
ではないわけです。

 それよりも、一人一人の人生において、たった一度の、それも一番最後
の「死」という厳粛な一大事件の前に、敬虔な気持ちで合掌し頭を下げる
その姿勢からもたらされた「お布施」こそ、まさに浄財、人の欲というチリ・
アカのつかない、無償の施しといえるものなのです。