目の前にある修行
                   紫波町・常光寺住職・森田英仁


 ある時曹洞宗の大本山永平寺に行ったことのある方から、「受付や案内を
している和尚さんはいつ修行するんですか」と聞かれました。

 永平寺に行かれた事のある方は判ると思いますが、永平寺は修行道場で
ありながらもいざ行ってみると受付はありますし、お寺を案内し、説明をして
くれる人ありで、テレビで見るような修行僧の厳しい姿はどうも見当たりませ
ん。ともすれば、ただの観光のお寺としか見えないかもしれません。
 
 一般の方々は修行というと座禅をしたり、お経を読んだり、長い廊下を雑巾
駆けをしたりする事などを思い浮かべるようです。勿論それらは大切な修行
であることには違いありませんが、それだけで修行のすべてであるわけでは
ないのです。
 
 曹洞宗の開祖、道元禅師様は、日常生活の行為を重要視されました。
つまり、私たちが日常生活における行いそのものが、お釈迦様や仏教の教
えを伝えてきたお師匠様方の行いそのものであり、そうであるからこそ日常
生活のひとつひとつの行いを細心の注意を払いながら、正しく行うことが必
要で、それこそが修行であると仰られております。
 
 日常生活にあるすべてが修行であるという事は、朝起きて顔を洗うことや、
食事を作ること、そして食べること、掃除をすること、仕事をすることなど、そ
れら私たちの生活のなかでは当たり前のことの中に修行があるということ
になります。

 食事をガツガツ慌てて食べたりしてませんか?バスや電車の中で回りの
人に迷惑の掛かるようなことをしてませんか?ゴミのぼい捨てなどしてま
せんか?

 日常生活には修行となるようなことが数限りなくあるようです。それをただ
表面の形だけ繕うのではなく、心から真剣に取り組む、ひとつひとつを大切
に行うことが修行だと思います。

 修行といっても特別なことはありません。皆さんの目の前に、道元禅師様
のおっしゃられる修行があるのです。