ゆく川の流れ
宮古市・慈眼寺住職・牧野文明
「川の流れ」と人生について考えてみましょう。川には小さな川や、有名な大 きな川もどこにでもあります。雨や雪が降って地の中に浸みて、一滴の雫もや がてせせらぎとなり、また幾筋の小川が集まって大きな川となるのです。 私たちは常に川を見て川水を作物に与えながら川と共に生活しております。 けれども一度流れきた水はどうでしょう。いつまでも同じ場所に止まることがで きないのです。 上流から下流へと流れ、やがては大海へと続くのです。このことは永遠に続 いて止むことがありません。私たち人間を川とくらべてみましょう。 私たちはこの世に生を受けて、生まれ育ってやがては老いを迎え消えてゆく 定めなのです。この間には栄える人、消えゆく人々、この定めは人生も川の流 れと同じことでしょう。 私たちは、毎日が平凡に暮らしていると誰でもが川の流れなどに目をむけな いで、ただ別れゆくことを悲しんでいませんか。 昔の歴史を眺めてみると、今から凡そ八百年前の頃は世の乱れ、動乱時代 といわれ、人々に不安を与え、生きることが困難な世が続きました。 この不安と苦しみからのがれようとして宗教に救いを求めた時代です。時に 親鸞や日蓮、道元の仏教が非常な勢いで庶民の間に入ってきたのです。 私たち人生を例えれば、川の流れと浮き沈みが「流転」であり「無常」の言 葉でした。「いろは歌」の中に「わが世たれぞ常ならん」と無常を歌い上げてい ます。あらゆるものは移り変わりとどまることがないという真実の姿をいうので す。 これからは、心静かに川の流れに目を開き、生きるという大事を見つめたいも のです。 |