正しい信仰
                       宮古市・瑞雲寺住職・斉藤泰純


 今回は正しい信仰とはどうゆうことか考えてみたいと
思います。イワシの頭も信心からと申して、何を信仰し
ようとそれは自由です。

 しかし最近宗教に関する問題がいろいろ起こってお
ります。そこで正しい信仰と迷った信心とどう見分けた
らよいか、それについてお話しいたします。
 
 まず第一に正しい信仰は科学や医学にさからいま
せん。昔はカミナリさまは電気だとは分からなかった
ので、カミナリさまを神様だと信じて落ちませんように
と拝んでいました。
 
 また伝染病が流行するとたたりだと思い込みました。
しかし科学や医学にさからって信心するのは心の迷い
です。バイキンだらけのお水いただいてても病気は治
りません。
 信仰は自由ですが科学や医学にさからった信仰は
迷信なのです。
 
 第二に自分だけの御利益を願うのは迷信です。他
人のことはいざ知らず、自分だけは幸運が授かりま
すようにと願う信心は迷信です。
 いくら信心したからといって宝くじが必ず当たるとは
限りません。しかも人はみな老い病み死んでゆくこと
を免れることはできないのです。

 正しい信仰とはこの老い病み死んでゆく人生を世の
ため人のために生き、お互いに人類すべてが幸運に
なれるよう願い、おのれの欲に迷わず、かりそめの
幸福に溺れず、災難や不幸にくじけずに、正しく強く
美しく日々を感謝の心で生きていくその心のよりどこ
ろなのです。

 第三に自分の良心に省みてとがめなき信仰でなけ
ばなりません。悪いことした人が警察につかまりませ
んようにと拝んだり、不正な選挙も教えを広めるため
だとか、お客を上手にだまして金もうけができますよ
うにというような、私達の良心に背く信心は宗教では
ありません。

 以上の三つに当てはまるとその宗教が正しい信仰
か間違った信仰かがおわかりになるでしょう。
 信仰は自由です。しかし間違った信仰をして不幸
になるのは自分です。

 正しい信仰とはどうゆうことかよく考えてみたいもの
です。