禅の教え
                    紫波町・高金寺副住職大松博典


 「曹洞宗は何宗ですか」という、ちょっと困った質問を
うけることがあります。「はっ」と聞き返すと、「アミダさ
んですか」と、これまた変な質問が返ってきます。
 「禅宗ですが」というと「ああそうですか」と納得され
「坐禅ですか」とおさまります。
 
 昔、江戸時代中頃のお坊さんに白隠慧鶴という方が
おります。そのお坊さんのお弟子におさつ婆さんという
方がおりました。

 そのおさつ婆さんの孫娘が亡くなりました。その葬式
の席で、おさつ婆さんは棺桶の前で泣きに泣いたとい
います。

 あまりにもひどい泣きようだったので、見るに見かね
て忠告する人がでてきました。
 
 「おさつさん。あんたは白隠さんから悟りの証明をも
らった人ではないですか。そんなに泣いては、禅の悟
りも無意味になりますよ。泣きなさるなよ」と。
 
 すると、おさつ婆さんはこう言いました。
 「やかましい。わたしの流している涙は普通の涙で
はない。わたしは真珠の涙を流しているんだ」と。
 
 とかく、禅宗は難しいと思われたり、「こんにゃく問答」
といわれたり、誤解されることも多いのですが、それほ
どカタく考える必要がないのはおわかりでしょう。
 真珠の涙を流せればいいのです。
 
 曹洞宗は禅宗です。禅宗はカタにはめてものごとを
考えるのをキライます。生き生きとした生きざまの中
で、悲しいときにしっかりと真珠の涙を流すのが禅の
教えです。
 
 あらゆる束縛を離れて悲しみの中でキラキラ輝く真
珠の涙を流す、それが禅の教えです。