人間としての命
水沢市・藤春院副住職・松本隆真
私は、七年前我が子を亡くし、その小さなお棺を抱いて斎 場に至り、静かに荼毘されるのを見守りました。いつもその同 じかまどの前に立つ度に思うことは、その生涯僅か三日の生 命も、百歳の天寿なされた生命もその重みは全く同じであり、 ずっしりと合わせた両手に感じました。 お釈迦様の説法に、弟子達を前に、大地の土を踏んで人間 として生命を預けることは、この指の上の土ぐらい僅かなこと であり、誠に尊いことと説かれています。 亡き人を送り、四十九日に地方によっては四十九個の丸め たお餅をお供えするそうです。それは人間の骨は関節から外 すと全部で四十九本あり、また、人間として生命を戴き、生ま れ変わって下さいと言う、残された肉親の心からの願いが込 められているものです。 現在、余りにも簡単に若くして自分の生命捨てたり、何の罪 もない幼児の生命を奪う辛い事件が多いです。もっと生命の 重みを感じて下さい。 「この一日の生命は尊ぶべき身命なり尊ぶべき形骸なり・・ ・」と、修証義にございます。この一日をみ仏様の正しい道に 努力する我が身、我が生命は尊く、正にみ仏様の生命です。 どうぞ、仏心に目覚められ、み仏様より戴いた人間としての 生命を、もっと輝かせて下さい。 |