山のゴミを拾う青年
              紫波町・蟠龍寺住職・中野英明


 何年か前のある夏の暑い日、高山植物のハヤチネウス
ウキソウで有名な早池峰山に登ったときのことです。
 
 大きなリュックサックを背負い、先端のフックの付いた竹
の棒を持った一人の青年に出会いました。その青年はし
ゃがみ込み、岩の間にその棒を差し込んでいたのです。

 一体何をするのだろうと見ていると、その棒にゴミを引っ
かけてはリュックに入れているのです。リュックからは腐っ
た臭いが立ちこめていました。

 私は山の管理人さんかと思い、話しかけてみました。す
ると、管理人でも何でもない、ただ、山が好きで何度もこ
の山に登らせてもらっているそのお礼と感謝の気持ちか
ら、時間を作ってはゴミを拾って持ち帰っているというの
です。

  平日で登山する人もほとんどいない真夏の山の中で、
一人黙々とゴミを拾う青年の姿を見て、今まで散乱して
いるゴミを見ても、ただ「心ない人がいるなあー」と怒るだ
けで、足下にあるゴミ一つをも拾わなかった自分を深く反
省されられたのでした。

 曹洞宗を開かれた道元禅師様は「世人の多くは善事を
成すときは人に知られんと思い、悪事を成すとき人に知
られじと思う」と云っておられます。

 確かに私達は善い行いをするときは、人に知られたい
と思うし、反対に悪いことをするときには、人に知られた
くないという気持ちがあります。
 
 その青年の黙々たる行いは、私達のそのような心とは
大きくかけ離れ、爽やかな感動を与えてくれました。

 私達も「一人一人がゴミを捨てない」だけでなく「一人一
人が足下にあるゴミを拾う」を心掛け、美しい自然を次世
代に残していきたいものであります。