生きている理由(わけ)
            東山町・観林寺・住職・高橋哲秋

 
  つい最近、私は三ヶ月間の入院を体験し、生命(いのち)
について深刻に考えさせられました。本日は生きる意味に
ついて述べたいと思います。

  体調の不調を覚え、病院を訪れた時の私は、極度の貧
血状態でした。当然、即刻、入院、直ちに輸血となりました。
 
  結局は一週間、七本、他人様の血を頂戴しました。おか
げさまで、体力もある程度は回復し、病棟を歩き回れるよう
になりました。

 輸血によって生命(いのち)を助けて戴きながら申し訳ない
言い方になってしまいますが、あれは、あまり気持ちのいい
ものではありませんね。

  はっきり判るんです。他人の血がジワジワと自分の中に
吸収されていくのが・・・。そこで、先ず最初に感じたことは、
こんなにしてまで自分は生きる必要があるのだろうか?とい
う疑問でした。

  入院するまでの私は、一寸先は何が起きるか分からな
い・だから悔いのない今を精一杯生きることが大事なんだ、
と思っていました。

  つまり、何時(いつ)死んでもいいんだというという覚悟で
生活してきました。こんな私が、他人様の血液を頂戴してま
で生き延びることになったのですから、戸惑ってしまいました。

  しかし、ベットの上でのんびりと過ごすうちに、今までの人
生は、ただ自分勝手にやりたいことをやってきただけだった
ことに気付きました。

  今は亡き父母、そして妻や子供を始め、多くの人に支え
られていたことに、やっと気がつきました。残された人を悲し
ませるような死に方をしてはならないと思ったのです。

  私たちの体の中には、自(みずか)らが滅びる遺伝子が
組み込まれているといいます。事故や自殺などでの突発的
な破壊ではなく、死ぬ時期、つまり寿命が決められていると
いうのです。

  生命(いのち)尽きるまで、健康に留意しながら、生かさ
れている喜びを感じられる毎日を過ごしたいものです。