汝自身を知れ
           二戸市・龍岩寺副住職・岩館尚文


 人間は何事につけ他人のことはよく見えますが、自分の
ことになるとなかなか気がつかないものです。
 
 とかく欠点とか過ちになるとなお一層それが顕著にあら
われます。そのためか自分を反省して自分の悪を認める
ことがなかなか出来ません。
 
 「汝自身を知れ」という言葉がありますが、自己を知る目
を持つことは、自己完成をめさざすうえにおいて何よりも
大切なことであります。
 
 私たちの目は外に向かっているために他人のことはよく
見えるもので、そこで良いとか悪いとかいうことをお互いが
言い合って時には対立し、また争うことになります。
 
 もうその時点で自分自身をかえりみる姿勢が失われて
いるのです。
  
 自己の悪が見えないのは、自分をかえりみる心の目がそ
なわっていないためであり、いくら知識が豊富であっても自
己を知ることにはならないのです。

 自己を知らないということは、自己に迷うということと同じ
であり、仏教でいう智慧とはこの迷いを破るものでありま
す。
 
 智慧はいわば、自分自身を照らし出す光であり、自分の
姿を映し出す鏡なのであります。
 
 自己の悪に気づくことはむむずかしいことで、もしそれに
気づくことが出来るのであれば、よほど悪いことであること
とよくよく反省し、心を改めなくてはいけません。
 
 この教訓は実生活においても大切であり、自己を悪いと
反省するところには対立は解消し、また争いは生じないで
しょう。