泥 仏

                         宮古市・瑞雲寺・斉藤泰純             


 中国に「泥多ければ仏は大きい」と言う格言がありま
す。日本で参拝する仏さまは木彫や金属が多いのです
が、中国では塑像といって、材木で芯をつくり、その上
に泥を塗り重ねてつくった仏さまが多く有ります。
 そこから「泥多ければ仏は大きい」という言葉が生ま
れたのです。


 中国では努力して多くの泥を集めればそれだけ大き
な仏さまができるのですよと、努力精進を教える格言
となっているようですが、受け取り方によってはとても
味わい深い言葉だと思います。


 お釈迦さまは、私たち人間は生まれながらにして仏
さまになる種を宿していると教えられました。
 
 人として生まれて人生を歩むうち、さまざまな苦しみ
に出合いながらも、仏さまになる種を育てはぐくんでい
けば、必ず仏さまになれるのですよ、教えられていま
す。

 中国の格言にいう「泥」とは、私たちが仏さまになる
ために出合うさまざまな苦しみのことではないでしょう
か。


 日々の生活のなかで、大きかったり小さかったりさ
まざまですが、だれでも苦しみに出合います。ときに
はまりの苦しさから絶望してしまうことさえありましょう。

 そんな時、この苦しみこそ自身が宿している仏さま
になる種を育て、花開かせる大切な「泥」なんだ、そ
の泥を自らの手で仏に変えるのだと考えたらどうで
しょう。

 どれほど多くの泥という苦しみがあっても、必ず仏
の世界へ生まれ変わることができるのだと確信すれ
ば、苦しみは百八十度回転して喜びにも変わるので
はないでしょうか。


 「泥多ければ仏は大きい」という格言、こんなふう
に味わってみてはいかがでしょうか