同 事 
              大槌町・江岸寺副住職・大萱生良寛


  曹洞宗のお経の本に修證義というのがあります。その中に菩薩
の行願の一つで「同事」と言う言葉が出てきます。

 海の水を辞せざるは同事なり、是故に能く水聚りて海となるなり、
と結びます。

  私はこの一説が大好きです。海と言うのは、岩魚や鮎が住む清
流も、生活排水が流れ込むドブ川も別け隔てなく全部呑みこんで、
あの大きな海となります。

 清濁併せ呑むと言うと、一昔前の政治家の様ですが、根本的に
大きな違いがあります。それは、水は高い所から低い所へしか流
れないと言う事です。

 人はいやな事ですが、自分と他人を意識せずに比べてみる事が
あります。そして自分の都合のいいように、相手より自分の方が優
れているとかってに解釈したりします。

  大概、この人は凄いなあと思えば10も20も凄いし、この人は自
分と同じくらいかなと思えば、5も10も上ですし、この人よりは自分
の方がいいだろうなと思って、丁度自分と同じくらいと言うような事
が多々あります。

  しかし、この人よりは絶対自分の方が優れていると思える人がい
ても、それは10の内、7や8が上であるだけで、必ず2や3は相手
の良い所が出てきます。

  この時、7や8の立場にいる限りは、同時になる事はできません。
一つでも、相手の優れている所を見付け、この人はここが凄いなあ
と自分を相手より、一段下がった所に置いてその人を認め接する
事が出来る様になると、始めて同時と言う事が解ってきます。

 自分を高い位置において、相手を認めているなどと言うのは、傲
慢意外なにものでもありません。相手を認め尊重できて、初めて相
手も自分を認め尊重してくれるのです。

  水も人の気持ちも、低い所から高い所へ流れる事は無いのです。
一番低い所にいてどんなものでも認め呑みこんでしまうから、海は、
偉大で大きいのです。

 海の水を辞せざるは同事なり、是故に能く水聚りて海となるなり

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