もう一人の自分
平泉町・東松寺住職・千田実道
家庭での子育ての中で、自分のことは自分でやれるよ うにと、教え育て、また自分もそのように教えられ育てら れてきた気がします。 それが今日では、そういう教え育て方をしてないようで ある。これは核家族化が進み、更に経済優先により、両 親の共働きの影響が大きいのではと思います。 それはそれでよいのですが、しかし私達は、とかく誰の 世話にもなるものかといった、強がりの気持になりがち です。 かと思うと、自分だけではどうにもならにない、もうだめ だなどと弱音を吐いたり、ずいぶん身勝手なことをするも のですが、そういう場合、大抵は自分中心の狭い考えに 落ち込んでいるものなのです。 実際私達は、この世で無限のお陰をいただいて生き ているのです。お陰さまでという言葉がよくそのことを表 しています。 ところが、普段はこのお陰さまに気がつきません。そ れは自分中心の見方や考えが邪魔しているからです。そ こで一歩下がって自分を見つめてみては如何でしょうか。 すると、この世の無限のお陰に気がつく素晴らしい働 きを持った、もう一人の自分がいることに気がつきます。 出会いとは、このもう一人の自分の働きです。お陰さ まの心になったとき、同じものが新しく見えてくる。それが 出会いの不思議なのです。 己のことのみ考えている人の心は狭く、他の人の幸福 を願って生きる人は美しい。 |