供養について
                山形村・千手寺住職・三浦修悦


  供養といいますと私達が第一に考えますのが先祖
の供養でございます。

亡き人の冥福を祈るため、先祖の墓前に華や灯明、
お線香を手向け、合
掌してご供養されることと思いま
す。


 しかし、もう一つ大事な供養があります。曹洞宗の
開祖道元師様は典座
教訓の中で「衆僧を供養する
が故に典座あり」といわれております。 
この
典座という職は僧堂内にいる修行僧に与える
食事一切を賄う、総責任者
をいいます。

 道元禅師様は食事作法・調理法、そして食材と器
物の管理の仕方まで
典座教訓の中に詳しく示してい
ます。 

 食事を頂くのも供養であり、調理するのも供養、そ
こにおいては一切が
供養ということをお述べになっ
ております。


 私達は供養するというとどうしても亡き人のための
供養ばかりを考えます
が、実は生きている私達自身
の供養も大変大事なことなのではないでしょ
うか。

 たとえば突然の身内の死に出会い、とまどい、途方
にくれている人をその
近辺の方々がどのような供養を
故人の一番親しい方にしてあげることがで
きるのか、
そういうことをまわりの人が考えてみる必要があるの
ではないで
しょうか。

 仏教徒として修行されているのは、何も僧堂の中で
修行されているお坊さ
んだけとは限らないと思いま
す。葬儀に参列し故人のご冥福を祈るのも仏
教徒と
しての修行の一つでありましょう。


 私達も修行者の一員となり、供養をしてもらい供養
をしてあげるべきであ
ろうかと思います。法事におい
てもお膳を準備していただいているのは故人
に対す
る供養の意味もあるでしょうし、今までお世話いただ
いた皆様に対す
る供養の意味もあろうかと思います。

 どうか皆さん、残された人の供養を考えてあげて下
さい。お膳を差し上げ
ることも供養であり、食べていた
だくことも供養でありましょう。また身近な
遺族の話し
を聞いてあげることも供養であり、お華をたむけたり、
電話をか
けて慰めてあげることも供養でありましょう。

 いろいろな供養の仕方があろうかと思います。自分
の出来る供養の仕方
を考え、そしてその供養をして
あげることができるのならば、きっとそのうち
に最愛の
人と別れを余儀なくされたご遺族は、いづれ自己の生
き筋を見い
出していくに違いありません。