良寛さんのはなし
西根町・聖福寺住職 美濃部秀元
良寛さんのお話をいたします。良寛さんは子供ら
と毛毬をついて遊んだり歌や詩を美しい文字でお 書きになって故郷出雲崎附近の庵を転々として生 涯を終わりました。 二十歳で出家し地元の光照寺で得度し、その 後、岡山県玉島の円通寺の国仙和尚について修 行し国仙和尚の没後の四年間の消息は分かって いません。 数年前京都文化研究所所長柳田聖山師が、清 国に密航したのでないかと発表され、それを良寛 研究の第一人者飯田利行師が、「良寛詩との対 話」として発表されました。 それは五言の長詩で「之則(これゆき)の物故 をきく」というもので、その中に、「子(し)は東都 の東に去り、我は西海の藩に到りぬ。西海は我 が郷(くに)にあらず。たれかよく長く滞まらんや」 この詩を中国への密航説にことよせて読めば〈西 海は我が土(くに)にあらず、たれか永くここにとど まらんや〉が中国本土を意味したものとも推測で きると申しています。 良寛研究がまた楽しいものになりました。 |