道元禅師様のみ跡を慕いて
                   藤沢町 宝珠寺住職 小野一芳


 平成五年十月十五日午前十時頃、私は、中国浙江省は、天童寺仏殿の前庭にいた。 
  私は、この天童寺で、今から七百七十年前道元禅師二十四歳の仏道修行を、この眼でたしかめたいと思ってきたのである。

 二十四歳の道元禅師は、日本の仏教の中に自分の求めるものを見だせず、ここ中国へ来たのである。

 真夏の、暑い日の午後である。道元禅師が昼食を終えて、石段の廊下を歩いてくると、仏殿の前庭で、椎茸を干している、年老いた典座の姿が目についた。(典座とは、寺院の食事係の職をいう)炎天下笠をも被らず、汗がしたたり落ちている。
 
 午後の日差しがカンカン照りつける。竹の杖にすがって、苦しそうにして、椎茸を干す仕事を続けている。道元禅師は、思わず問いかける。「このような仕事を、老体の貴方が・・・誰ぞ若い者にでもさせたらいかがでしょうか」

 老典座は答える。「他は、これ、吾にあらず。」(他人にやってもらったのでは、自分がしたことにはならないのです)、あまりの気の毒さに、「そんなお年で、何も、この暑い炎天下になさらんでも」

 老典座は答える。「さらに、いずれの時をか待
たん」と。(今やらなければ、いつやる時があるのですか、このカンカン照りの暑い時だから、干すのにもってこいの時なんですよと)道元禅師は、言葉もなく、立ちつくした。

 私は、満足だった。「他は、これ吾にあらず」(他人にしてもらったことは、自分のしたことにはならない)

 「さらに、いずれの時をか待たん。(今、やらなければ、いつやる時があるのですか)