思いやる心

                   平泉町・見性寺住職・渡辺弘文


  私は、先日自分の不注意から左足のアキレス腱を切断してしまい。約一ヶ月の入院生活をおくりました。私にとって初めての入院生活でして、慣れない松葉杖で、痛みをこらえながら恐る恐る歩く毎日でした。

 病院では、朝昼晩と給食が出ます。当然食べ終わったらお膳を片づけなければなりません。最初の二〜三日は、両手に松葉杖とお膳は持って歩けませんので、左手に松葉杖二本、右手にお膳を持って片足でケンケンをして所定の場所に片付けていました。

 三日目の昼食後だったと思います。いつものようにお膳を持って廊下へ出たところ、ほかの病室の付き添いの方が、「もっていってあげますから。」と言って下さり片づけて戴きました。また看護婦さんにも運ん戴き、この時ばかりは本当に有難く感じました。 

 また、朝洗面所に顔を洗いに行くと、右手を首から洗っているおばあさんがタオルを絞るのに苦労していました。すると、隣にいる松葉杖の青年が「絞りましょうか。」と言ってタオルを取り、絞りながら私に「おはようございます」と、大きな声で挨拶をしました。 

 病院の中では当たり前の事ですが、これが一般社会ではどうでしょうか。お年寄りや障害者の方が交差点の信号で困っていたり、車椅子の方が歩道の段差で困っているなど、色々なケースがあると思いますが、あなたはどうされますか。

 「そりゃあ交差点では手を引いてあげるし、歩道では車椅子を押してあげますよ、当たり前でしょ。」と言われる方がほとんどだと思いますが、実際はみんながみんなそう出来ないのが現実です。 

 この、“当たり前”を、みんなが当たり前に出来るようになれば、それぞれの人の心が穏やかになり、社会全体が明るく暮らしやすくなるのではないでしょうか。 

 お互いに思いやる心、滋しむ心を忘れずに言葉を交わし日々暮らしていけたら、きっとすばらしい人生を送ることができるはずです。