お か げ さ ま   
                     遠野市・慶雲寺住職・菊池伯也


 御陰を広辞苑(辞典)で調べると神仏の助け。加
護。また人から受けた恩恵・力ぞえとあります。
わたしたちの生活は御陰様の日暮らしなのです。

 生きるために一番大切な食べることに致しましても、
食べ物を口まで運んでかんで喉まで送る、そこまで
は自分の力で自分の意識で処理しているのだと、一
応言うことができるでしょう。

 食べ物を食べる時間を早くしようとすれば早くでき、
遅くしようとすれば遅くできます。口に運ぶにして、歯
で噛むにしても、自分の意識で処理できますが、
 しかし食べ物を喉へ入れたそこからは、自分の力で
自分の意識で、どうしようとしても、どうすることもでき
ません。

 胃に入った食べ物をどの程度に消化させて、どの程
度にどういう風にしてと、いくらあせったところで、どう
にもなりません。
 
 食べ物が腸で吸収されて静脈に入り、肺臓で酸素と
化合して赤い血となって全身をまわる。
 それらの働きを、自分の意識でどうしようとしてもどう
することもできません。

 寝ることにしても、身を寝床の中に横たえて寝入る
態勢を整えることまでは、自分の力でできます。

 自分の意識でできますが、そこから先は全く自分の
力も意識も及びません。自分ではいかに寝入ろうと思
っても寝られず、寝まいと思っても寝入ってしまうこと
になります。
 
 食べることや寝ることは、日々の生活の大半を占め
るものだと言えますがその殆どが、自分の意識でどう
することもできないのであります。

 意識の及ばないところにも気づくことが『おかげさま』
と言うことになります。この、御陰様を感じたとき、生か
されているという有り難さを気づかれます。

 多くの御陰様に気づくとき俺が俺がと言う気持ちが
消え感謝感謝のみでございます。お互いに、穏やか
な感謝の日暮らしを致したいものです。