一日一善       
            陸前高田市・普門寺住職・熊谷光洋


 一日一善という言葉があります。これは一善
を必ずしなくてもよいことを何か一つ発見する
ということです。

 一日のうち必ず一つ喜びの種子を見つける
ことです。何か嬉しいことを幸せの種子を見つ
けることです。

 朝起きたときに、ああ今日も一日命あってよ
かった。今日一日始まってよかった。今日一日
が素晴らしい一日でありそうだ。

 このように思える皆さんで有れば素晴らしい
です。朝起きて「ああまた嫌な人とあわなけれ
ばならない」と、嫌なことばかり考えると一日が
長く、何をやってもおもしろくない。

 すべて不幸になっていきそうな気がして。そ
んな毎日を送っていては決して幸せにはなれ
ません。

 どんな状況でも、毎日活力、気力のあふれ
る。それが維持できることが幸せな人生を生
きているということです。

 そして、他人が素晴らしく見えること、他の人
がすばらしく見える人は、すなわち、その
人自身がすでにすばらしい人です。

他の人のアラ、悪いことばかり見えてしまう
人、このような人が幸せになれるということは
おそらくないでしょう。

 ひとのよい行為よい思いを素直にほめられ
るような心境になる。自分に素直に生き、自
分に正直に生きるなかで世の人を喜ばせる
ことができ。

 また幸せにすることができる自分の生き方、
生き様が他の人々の幸せに少しなりとも力に
なっていると、実感できるということ、とても大
切なことです。

 一日一善さあさっそく始めましょう